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2014年7月16日 (水)

母のこと

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ホームに入ったところで古くからいる看護師さんに会い
ました。

「最近では、お母さま可愛いおばあちゃんになられまし
たよ」

いつも機嫌がいいらしいのです。

3階に行ってスタッフのTさんと話しても、

「食事の介助をさせて下さるようになっています」

「昨日は”お金をもらったの、隼彦さんから”って仰ってい
ました」

「このあいだ、幾つって聞いたら21歳って仰いました」

Tさんはとてもいい人でいつも母に話しかけてくれます。
それも本当に興味を持って。

母が私のことも分からなくなって大分経つのですがいま
だに父の名前を言うのはもしかしたら21歳の時にまで
戻ってしまったからなのかも知れません。

新婚の頃に気持ちが戻って父からお給料をもらったこと
を思い出しているのかも知れません。

「Tさん、母は父とあまり仲がよくなかったのだけど、いま
だに"隼彦さん"と父の名前だけは忘れないのはもしかし
たら19歳のときに出会った父に一目ぼれしていたのかも
しれないわ」

母は私には東京の事務所に遊びに来た時に父に会って
継母のいる神戸に帰りたくないからすぐに結婚を決めたの、
お父さんもはねっかえりの娘が出て行くのを喜んでいたの
と言っていたのです。

照れだったのですね。

理不尽な継母から逃れ、難しい舅姑に仕える新婚生活で
したが、若かった母は一所懸命 婚家に染まろうとしていた
のでしょう・・・

その頃幸せだったのね、ママ。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

涙が出てきました。
私もきっと主人のことだけは忘れないと思えるからかな。
そしてシルクリボンさんがお母様を想う気持ちにうたれました。

投稿: mami | 2014年7月19日 (土) 23時00分

mamiさん、ありがとう。

母は継母に育てられて苦労をしたせいか情緒不安定で私に対して愛情過多な人でした。
あんなに愛していた娘よりも喧嘩ばかりしていた父が大切とは、私 長い人生 生きてきても分からないことがあったんですね。

私のことが分からなくなっていても食べて寝て生きていてくれるだけで嬉しいということも初めて知った感情でした。拠りどころです。

投稿: silkribbon | 2014年7月20日 (日) 00時14分

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